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特集 コミュニケーションを豊かにするウェブ・トゥ・メディア戦略
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特集 コミュニケーションを豊かにするウェブ・トゥ・メディア戦略

今後ともプリントプリウスを宜しくお願いいたします
2011.3.15 March vol.61
製造本部
100周年実行委員 1特集 100周年実行委員会について 2特集 土山印刷の歴史と歩み 前編 コミュニケーションを豊かにするウェブ・トゥ・メディア戦略
企画・制作

印刷産業の主要ミッションは「消えていくものを形にとどめる」ことです。

 弊社は、本年3月に創業100周年を迎え、新しい20年の発展のチャレンジを開始いたしました。その折に、全日本印刷工業組合連合会の月刊誌 「日本の印刷」(毎月10日発刊)に100年企業シリーズの企画として取り上げていただき、【100年企業・業態変革のないところに発展はない】と題して2月号に掲載していただきました。 同誌は、全日本印刷工業組合連合会と傘下組合員を結ぶパイプ役となっている機関紙で全日本印刷工業組合連合会・47都道府県印刷工業組合の動向、各種委員会等の開催内容、国の中小企業施策、業界の情勢、各種調査統計資料等を掲載し毎月10日に発刊しています。

 シリーズ企画テーマは、“コミュニケーションを豊かにするウェブ・トゥ・メディア戦略印刷産業の主要ミッションは「消えていくものを形にとどめる」こと”です。

掲載記事につきましては、以下に内容をご紹介いたします。

 土山印刷株式会社(本社:京都市南区吉祥院向田東門14・社長:土山雅之氏)は今年創業100周年を迎える。創業は明治44年、創業者は現社長の祖父にあたる土山定治郎氏。
 創業時は土山文隆堂の名前でスタートした。「文隆堂」には「文化が隆盛になればいい」という定治郎氏の思いが込められ、文化を支えるものとしての文字「活字」があった。活版印刷による書籍や、帳票類を中心に、文字に対するこだわりを徹底した。活字技術の評価が高かった土山印刷を象徴するように、定年で辞めた人々の多くが他の活版印刷会社に招かれて、活字組版技術の向上に貢献をしている。
 現社長・土山雅之氏は、1994年に父親の土山卓平氏の求めで、勤めていた松下電器産業(現パナソニック)を辞めて入社した。その時点ではアナログ製版主体だったが、その後、雅之社長のデジタルフローへの切り替えが始められている。
 DTPの登場と符合する雅之氏の入社は、デジタル化、インターネット化が進む社会環境へのダイレクトな取り組みとなっている。未経験の世界のなかで、新たな技術を積み重ねる挑戦を支えたものの一つに、長い活字組版の時代を経て同社の血脈となっている「技術へのこだわり」が引き継がれているためでもあろう。雅之氏は、語り継がれた同社の活字組版技術について次のように説明する。
 「活字と活字の間にインテルなどの込物を入れます。普通は16分から8分ぐらいまで打ちますが、うちは32分まで紙で調整していました。お得意先に合わせて、鋳造も字母も精度の高いものを作って、例えば穴あきのグラムなど各種の字母をお得意先に合わせて作ったと聞いています。そういう面では非常に文字を大事にしました。」
 出版では大学や医学書籍の出版社などが多く、お医者さんに対しては医療情報なども提供した。その関係は現在でも続いている。

プリントプリウスで新しい印刷経営の世界を開く

 土山社長は京都大学を卒業して、1989年に松下電器産業(パナソニック)に入社した。エアコン事業部の管理部門で生産管理や営業管理のあり方をつぶさに学んでいる。1994年に父親の求めで土山印刷に入社、総務・営業部門に従事し、DTP化の流れを取り入れるために陣頭指揮を執ることになる。創業者定治郎氏が起した活字組版を定着・確立しその後オフセット印刷、写真製版技術の導入をした卓平氏の後を受け、デジタル化の波と取組むことになるが、印刷や製版現場も始めてという世界の中で変革への舵を切れたのは、パナソニックで身に着けた生産に対する管理技術が秀でていたためと思われるが、土山社長はそれを否定して次のように振り返る。
 「パナソニックに入社したころからワープロが増え始め、出るころにパソコンが部門内に1台か2台ほどあって順番に使っていた時代です。印刷事業のDTP化も、オフィスのオートメーションと連動しているところがあると思いますが、私が戻ってきたタイミングで、パナソニックが非常に進んでいて、当社が遅れていたかというと必ずしもそうではない。パナソニック自体もまだパソコンの数も少なかったので、パナソニック時代のノウハウを自社に生かしたということはありません。
 DTP化を進めなければいけないという時期で、社内にも検討委員会ができていました。製版の責任者が中心となり、導入するかどうかという問題と、導入するとしたら、DTPにするのか、高性能のCEPSにするのか。どのシステムにするのか、コストも含めて検討しました。私自身、その委員会に初めて入って、右も左もわからない中で一緒に検討した結果、DTP化に進もうという結論になりました。
 今にして振り返ると、当時は会社の資金的な余力も含めて高度な投資は難しいというのが最終的な結論で、しっかりわかった上で判断したわけではなかったと思います。結果的に、従来型の製版が9割で、デジタルは外注にお願いしていたのが1割程度ですが、1年あまりのうちにデジタルとアナログが9割:1割と逆転しました。その時にデジタル化の流れは本流になっていると感じました。」

マーケティング改革から生まれたプリントプリウス

 95年に起こった阪神淡路大震災の情報は、インターネットを通じて瞬く間に海外にまで伝わった。その後、各社でホームページが立ち上げられた。同社もホームページに取り組んだが、その時点では社内に企画するスタッフがいなかった。また、平行して電子カタログを導入しようと社内のスタッフを活用して取り組んだが、うまくいかなかった。土山社長はそのときの状況を鮮明に覚えている。「私自身が現在でもデジタル化やネット化に力をいれているのも、このときの悔しい思いがあるからだと思っています。」
 99年に役員になると、利益率の向上、管理体制の強化を念頭に、経営管理の仕組み作りに取り組んだ。事業計画の制度作りや作業報告会で、月単位の損益を算出して、毎月の結果状況を出した。
同時に生産性の向上に取り組み、単年では20%以上向上させ、大きく利益に結びつけた。
 まだ印刷会社はドンブリ勘定で、全体で利益が上がればいいという風潮が残っていたときに、99年当時から統合管理システムを導入して、個別の物件ごとの粗利管理を徹底してきている。単年度で数パーセントの利益向上、押し上げ効果を記録している。
 利益改善に取り組むと同時に、その一方で、厳しくなってきた売り上げの状況に対して新しいお客さまを増やしていく方針を打ち出し、新規開拓や提案型の営業に取り組んでいる。「当時、新商品はなかったので、営業手法の改善で売り上げを拡大していきたいという思いがありました。しかし、印刷会社の営業マンは忙しいので、日常業務を持ちながら新規獲得や提案営業に取り組むのは難しい。社員も一生懸命に取り組んだが、中途半端に終わってしまって、結果的には顕著な結果には結びつかなかった」と土山社長は総括している。
 2006年には、新社屋への移行と同時に、それと並行して、売り上げと内製の減少という問題を抱えた。
 「当社の場合、大手のお客さまが多かったので、どうしても輪転の仕事が多くなります。平台の仕事しか請けていませんでしたので、輪転はすべて外注になります。しかも売り上げが減る中で内製の効率が悪くなるという事態になってきました。」
 そこで、ファブレス化して、機械設備や工場を持たずにブローカーに転じるか、もしくは、内製を増やす方法を考えて、機械稼働を上げて技術型の企業として生き残っていくか、の選択を余儀なくされた。きめ細かい営業力はあるが、提案力あるいはプロモーション支援力は必ずしも強くないという反省から、「技術的な安定感が当社の売り物ではないかと考え、設備を持たない営業はいずれ破綻(たん)する」という考えから、内製を強化する方針を固めたのだ。
 当時は、クライアントからの受注に特化していて、同業からの受注はしていなかったので、内製を目指す手段として、得意な分野の設備を残し、そうではない部分は外注にお願いするという流れを取り入れた。「当社も外注が多いので、バーターも取り組みやすく、決断がうまくいき、3年ほどかけて、われわれは製造受注という言い方をしていますが、1億5千万円ほど増える形で、生産については好調に推移しています。本社を移転した際に機械を1台まで絞りましたが、2009年と2010年に1台ずつ増設できましたので、内製についてはうまく進んでいます。」

内製の強化と流通の多角化を図る手段を確立

 この方式で1年目が経過した時点で、「営業面の改革だけでは売り上げは増えない」という現実に直面する。その結果、商品改革やマーケティング改革と連動させないと効果がないことに気付き、マーケティングの改革に取り組んだ。
 このマーケティングの改革の中から考え出されたのが「プリントプリウス」というウエブ・トゥ・プリントの受注窓口を創る仕組みだった。
 内製強化の必要性と流通の多角化を図るためのプリントプリウスを扱う部署を分社化して2006年にスタートさせた経緯を土山社長は次のように語っている。
 「1台を順調に回しても生産性は低いので、数台が順調に回る状況を作らなければいけない。大手のクライアントから平台の印刷に持ってくるのは難しいので、同業受注という形で同業者から仕事をいただく仕組みを作ってきました。ただ、これではまだまだ弱いので、将来に向けて増やす方法はないかということで目をつけたのがインターネットです」。
 当時、すでに楽天やヤフーなど、インターネットを使った印刷受注が増えていたが、同社が狙っている平台の受注は必ずしも多くはなく、しかも価格的に厳しいものがあり、安定した受注につながらない。インターネットで受注するといっても本筋とは思えないことを察知する。
 内製化を強化するためにも同社はワンストップ・プロモーションの流れの中で、製本設備の導入検討を開始し、当時他社で急速に成長し始めていたいわゆる「印刷通販」すなわちウェブ・トゥ・プリントを「10年たてば本筋の印刷のモデルになる」という確信を得て踏み切った。
 「そのときに私が感じたのは、個人に至るまで印刷が普及しているのかどうか。個人の情報を伝達したいというコミュニケーションの欲求がインターネット等で拡大している中で、もっと普及してしかるべきではないか。当然、インターネットの良さはありますが、紙は色々な姿になって残ります。さまざまな利点があります。携帯性、一覧性など、優れた面があります。これをうまく使えば市場が爆発するのではないかということでした。」
 ウエブ・トゥ・プリントの分野は、スタート時の2007年は、単月で10万円にも満たない状況で、イニシャルコストや広告費がかかる中で、当初の期待を満たすものにはならなかった。翌年の2008年は、売上拡大のための方式を模索することに終始し、商品の充実度や価格、納期を十分に調べて、もう一度基礎的なことからやり直している。
 売上拡大の方式を把握して取組んだ2009年度は、より具体的な実践事例を開始する。
 「安くなければ選択してもらえないので、安くするためにどうするのか。付け合わせが来るようにしないと単価が安くならないので、付け合わせが集まる仕組みを考えて、それを実践した。それと合わせて、何パーセントオフというキャンペーン価格を設定して受注を増やしていくことにも取り組みました。」
 2009年は、売上拡大を目標に、新規顧客獲得をテーマに置いた年だった。2008年の売り上げは1千万円を切っていたが、2009年は2700 〜 2800万円の売り上げに、2010年は1億円に近いところまでいき、3倍速程度の年度成長を実現している。
 2010年の取り組みとして、継続して売り上げを増やしていく一方で、広告費が多額になっている点の見直しを実施している。また新規顧客獲得のための施策に09年度は取り組んだが、新規顧客獲得だけでは売り上げが安定して伸びていかないとの判断から、リピート促進のための施策を重視して、リピート客に対するメッセージを改善して取り組んできている。
 顔の見えないお客さまを相手にするビジネスでの実績が少ないことから、できるだけ法人客を増やしたいというのが当初からの狙いとしてあった。そこで、営業活動も連携させてB2B、顔の見えるお客さまに対して営業をかけることで売り上げを押し上げるという取り組みを強化して、着実な成果を引き出している。

「どう組み合わせればベストバランスなのか」を追い続けて

 DTPからインターネットの時代を、土山社長は企業トップリーダーとして、その時代の最も新しい技術を、印刷営業に取り込みながら走り続けてきている。お客様の要望と、技術変化と、そして営業体制と、多層的に組み合わせて最善策を決断する動きは、スピーディーで少々複雑でもある。100周年を迎えて、次なる2030年構想を描く土山社長が、これまでに対処した事例設計図は、本人の言葉を借りて説明する以外にない。100年企業の紹介シリーズでは、異例となるが、インタビュー取材時におけるテープ採録の形で主要部分を表記したい。
 -- プリントプリウスについてご説明してくれますか。
 土山 インターネットを通じてあらゆる方が不特定の方に個人の情報を発信できるようになり、ブログの数では世界で日本が一番多いと聞きます。それだけ日本人は自分の思いを持っている。あるいは言葉で表現できる能力を持っている人が多い国だと思います。ただ、ウェブメディアは見るとすぐ消えていくメディアなので、発信してもすぐに消えてしまい、定着しません。発信する側としては、残したい、見せ続けたいというニーズが必ず出てくるはずです。われわれは意識的に市場を切り開いて、人間が持つ発信したいという欲求を満たしていく。その先駆者になりたいというイメージを込めてプリウスという、トヨタさんのイメージをいただいたという形になっています。
 -- 消えていくものを形にとどめるのがプリウスの手段ということですね。
 土山 そうです。紙の存在価値だと思います。心配しているのは、電子媒体や電子出版がこれから主流になると言われていますが、将来に渡って媒体形式が残るのかどうか。媒体は、起こすためのデバイスが必要です。デバイスはどんどん進化して規格が変わります。紙は何百年も残っていきます。規格が変わる、デバイスがなくなったときに開くことができるのか、それを危惧します。否定論ではなく、ツールとしてはいいですが、紙と並存することが人類の文化を残していくことになるのではないかと考えています。
 -- そういうことを行う、ウェブ・トゥ・プリントを事業にするのが株式会社プリントプリウスですか。
 土山 お客さまにとってウェブ・トゥ・メディアの最初の入口です。大手の法人が印刷物を大量に流すものに対して、インターネットの世界はソーシャル化が進んでいます。双方向で発信する方もいれば受信する方もいます。紙メディアも、いろんな方が発信することによってソーシャル化が進んでいかなければならない。そういう意味では、今までのように上から下に流すのではなく、企業や個人が双方向で発信し合うための一つのツールが紙ではないか。ただ、それは圧倒的に安い価格で使いやすいものでなければいけない。それを具体的に商品化、あるいは事業化したのがプリントプリウスという位置づけです。
 -- プリントプリウスがあって、ウェブ・トゥ・プリントに対してウェブ・トゥ・メディアを打ち出していますね。プリウスが小ロット、総合的なカタログを企業のメディアミックス、こちらでウェブ・トゥ・メディア、この二つを合わせると捉えてもいいですか。
 土山 クラウドサーバを中心に置いて、データはお客さまに作っていただくという考え方です。静止画であっても動画であっても、画像情報や文字情報はお客さまが作る時代です。それをいただいて、あらゆる媒体に展開することのお手伝いをする。それにより、インフラが整っているのでローコスト化していく。テレビの時代のように、何千万も何億もかけてコマーシャルを流すだけの時代ではないでしょう。それよりも、クロスメディアを考えて、効果のないメディアは予算を減らして効果のあるメディアに充当していく。
 広告、販売促進の領域でも、PDCA(プラン・ドゥ・チェック・アクション)のサイクルを回していく時代に入っています。右肩上がりの時代はマスメディアの時代で、テレビでインパクトを与えることによって集客を図り、主力商品を買ってもらう時代でした。これからは、社会が成熟化しモノが充足していますので、買いたい商品と消費者を、いかにコミュニケーションをつないでいくかが企業の役割になってくると思います。
 つなぐための手法として、人によっては携帯がいい場合もあり、人によってはデジタルサイネージがいい場合もあり、人によってはフリーペーパーがいい場合もあります。それは人によっても商品によっても違います。デジタルソースは同じなので、今回はA とB とC という媒体を6:3:1で打つ、前回は配置を間違えたから4:5:1で打つというように、工夫する余地ができるように1回分のコストを下げ、同時に手間も省いていく。ここがわれわれの産業の大きなミッションになってくると思います。
 -- 発注者側の財務を軽くするところまで踏み込んでいくということですね。
 土山 1回あたりのコストを軽くして、効果が出るところに何回も打てるようにしていく。コミュニケーションを豊かにするのが、われわれの産業の目的だと思います。
 -- 「ウェブ・トゥ・メディア」をそれに充当させると。
 土山 ウェブ・トゥ・メディアはあくまでもインフラの部分です。データはご自分で作ってくださいとはいうものの、作れない、あるいは協力してほしいということがあります。これが企画やデザインだと思うので、この機能を強化していく。この組み合わせです。
 まずはシンプルなインフラとフローを作らないと、旧来の手間の掛かるフローでは、コストを増やす原因になっています。ここをシンプルにするためには、お客さまがデータを作り、われわれがそれを加工してメディアに落としていくというように、発想を変えてシンプル化していく。今はインフラ的には可能なので、まずはそれを作り上げます。その上で、それに対するデザインや企画の機能も強化して、必要であれば作りますという形にしておいて、お客さまに取捨選択してもらい、ローコストで手間のかからないモデルを提供していきます。
 どう組み合わせればベストバランスなのか、お客さまとの付き合いの中で見えてきますから、この方法がダメなら次はこの方法というように提案が出せるようにしていきたい。そういうイメージで、ウェブ・トゥ・メディアを考えています。

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